これまでの被災地での視察・支援活動

クリエイティブ・アーツ・セラピーセンターでは、東日本大震災後の早い時期から、仙台在住のセンターの評議員をパイプ役として宮城県南部の被災地視察を行い、アーツセラピーを用いての支援活動を模索、実践してきました。

 

東京の本部の方からは、代表の関を中心として、これまでに4回被災地訪問がなされました。

以下は、それらの簡単な経過報告です。

 

 

第8回:2012年4月5日(木)~4月7日(土)

参加者:デボラ・コフ‐チャピン、小林智明、Eさん(5日)、Aさん(6日)、Tさん(6日)

協力団体:国際NGO団体JENNPOにじいろくれよん(石巻市)

 

 表現アーツセラピストであり、「タッチドローイング」創始者デボラ・コフチャピンさんの希望で、来日の際に、被災地での支援活動をしたいとの申し出があり、仙台在住のセンター評議員の小林をパイプ役として、宮城県内でデボラさんのワークの実施することになった。

 

●4月5日(木)

 デボラさんは、4日夜、新幹線にて仙台入り。

 5日は、2月に実施した南三陸町でのワークに協力してくれたEさんとその友人Sさんが中心となり、多賀城市内で震災後、支援活動をしている方々を中心に募集し、22名が集まった。会場は、多賀城市民活動サポートセンター大会議室。

開始前、やや緊張感が漂っていたが、全員で円座し、彼女の楽器と声を使った導入が始まり、その音に耳を澄ましていると、会場の雰囲気も参加者の気持ちも随分落ち着いたように感じられた。その後、デボラさんによるタッチドローイングのデモンストレーションを見せてもらった後、それそれが席に着き、制作を開始。参加者は、デボラが奏でるドラムとシンギングボウルの音が響く中で、それぞれが制作に没頭し、あっという間に時間が過ぎて行った。今回は、3時間というワークとしてはとても短い時間だったこと、また、参加者が制作に集中していたこともあり、予定終了時刻よりをオーバーし、またシェアリングの時間を持つことができなかったが、参加者の感想は大変好評であり、「ぜひもう少し長いワークを」という声も聞こえた。

 ワーク終了時には、彼女の作品であるソウルカードを参加者が一枚ずつ引いて、そのカードからのメッセージに耳を傾け、参加者にとっては、いい時間を過ごせたのではないかと思う。

 

 全員で、ワークの片付けをした後は、場所を移動し、十数名の参加者と一品持ち寄りの会食会&コンサートを行った。コンサートはデボラさんとクリスタルボウル奏者であるEさんとでセッションを行い、シンギングボウルとドラム、クリスタルボウルが響きあう空間を参加者一同、とても楽しんで、午後1時半からスタートしたワークを終えた。

 

●4月6日(金)

 午前は仙台市鶴巻児童館で小学生向けのワークを行う。この場所は、昨年4月に関らと一度ワークをした場所であり、屋根瓦を覆うブルーシートや、道路工事の様子は少なくなっていて、周囲はやや落ち着いた感じがあった。一方で、その後も続いた余震や、経済環境、家庭環境など子どもたちの周りを取り巻く環境の改善は未だ難しく、また子どもたち自身の様子もようやく落ち着いた頃であったこともあり、ワークを実施した。

 今日のワークは、終日、2名のボランティアがデボラのワークのサポートとして参加してくれた。

 彼ら自身も、気仙沼市でNGOメンバーとして支援活動をしているのだが、今回のデボラさんの宮城県内での支援活動をアメリカにいる日本人アートセラピストからの情報で知ったとのこと。忙しい彼ら自身の支援活動の合間を縫って、手伝いに来てくれた。

 

 児童館に入ると、見たことのない私たちスタッフと、デボラさんに興味津々の子どもたち。

 ワークの準備を始めると、子どもたちはドアの外側からその様子をずっと眺めていた。そんなこともあり、当初15名が参加する予定だったが、その場で参加希望者が増え、最終的には、2セッション、22名が参加することとなった。

最初、声と楽器によるワークを開始すると、少し恥ずかしそうに、でも、隣の友達を見ながら、口を小さく開けて声を出したりと、子どもたちはとても落ち着いて参加しはじめていた。

 制作にはいると、子どもたちはとても熱中、興奮して次から次へと絵を描いていった。

 印象的だったのは、ワークに入る直前まで、他児と喧嘩をし、その気持ちを引きずっていた児童が、制作に入ると、落ち着いた様子で政策に集中。スタッフに自分の作品のことをうれしそうに話していた姿が見られた。また、同じ場所にいたものの、制作やグループとしては参加しなかった2名が、遠巻きからずっとワークの様子を見ていた。時間が経つにつれて、だんだんと中心に近づいてきて、デボラさんの楽器とカラフルなスカーフにさわったり、他児の作品を見ていたりと、2時間の中で動きの変化も見られた。

 児童館長とスタッフからは、「前回(昨年)もここで、ワークをやってもらったが、まだまだ子どもたちには必要なんだなと思いました。予想以上に子どもたちが集中し、また、参加した子どもたちの数も予定より多かったことに驚いています」と感想を述べられた。

 子どもたちが、それぞれ自分のスペースと画材が渡され、安全で守られて落ち着いて参加できる時間を喜んでいたようだった。

 最後に、再び楽器と声を使ったクロージングを行った。照れ笑いしながらも、子どもたちは最初よりも少し積極的に声を出している感があり、子どもたちはリラックス、リフレッシュもできた様子だった。無事、2回のセッションを終え、児童館スタッフと子どもたちに感謝の意を伝え、急いで片付けをし、午後のワークの会場である石巻に向かった。

 

 午後3時すぎ、明日の午前のワークの実施に協力していただくNGO団体JENの岩井さんとも合流して、午後のワーク実施に協力してくれた「NPOにじいろクレヨン」の事務所を訪問した。

 この団体は、震災後、「石巻こども避難所クラブ」という団体として避難所で子ども対象の活動を開始、昨年末からは、「にじいろクレヨン」として石巻市内の仮設住宅集会所を中心に活動を続けている。代表の柴田さんはご自身が画家であり、震災前は、子どもの絵画教室を開いていた(この4月より再開したとのこと)

 

 ミーティング後、ワーク実施場所である、あけぼの3丁目集会所に移動。

4歳から13歳までの子ども9名が参加した。

 この場所でのワークは、午前中とは、対照的に、タッチドローイングを数枚仕上げると、子どもたちは、デボラさんのドラムやシンギングボウルやカラフルなスカーフに興味を持ち、音を鳴らしたり、体に巻きつけたりして動き回るなど、身体を動かす遊びに発展。一方で、小学生が動き回る部屋の片隅で、熱心にタッチドローイングに没頭する就園児がいるなど、各々が自分の空間を作り、過ごしていたりすることができたようだった。最後は、みんなでそれぞれが異なる役割をもちファッションショーを行い、とても盛り上がった。

 

 ワーク前の事前ミーティングで、にじいろクレヨンのスタッフからは、「子どもたちがタッチドローイングに参加するのもしないのも自由で、外に出て行ってしまう子もいると思います」と言われていたが、実際、外に出ていく子どもはおらず、狭い空間ながらも身体いっぱいを使い、しかもクリエイティブな遊びができたことを子どもたちは非常に楽しんでいたように感じられた。

デボラさんは午前と午後の子どもたちの動きの違いに驚くとともに、ご自身が経験したことがない非常にクリエイティブな体験と時間だったことを大変喜んでいた。

 

●4月7日(土)

 この日は石巻に向かう前に、東京から通訳ボランティアのSさんを仙台駅前でピックアップし、その後、国際NGO団体JENが活動している石巻市渡波地区へ移動。途中、沿岸部を走りながら、ガレキが高く積まれた幾つものガレキ処分場と、津波で跡形もなくなってしまった土地を見ながら、復興への長い道のりを感じた。到着すると約10人の小学生の子どもたちがワークに参加してくれた。

初めは何をやるのか不安そうだった子どもたちも、不思議なドラムの音を聞きながらの制作に、徐々にリラックスし、自分の作品を友達に自慢そうに見せあったりするなど、絵を通した交流も行われた。JENのスタッフのほか、JENのボランティアにも体験してもらい、興味を抱いたようだった。ここの子どもたちも、デボラの楽器に非常に興味を持ち、タッチドローイングを終えた後も、その楽器を持って鳴らして歩いたり、作曲したりと楽しんでいた。

 

 午後は、同じく石巻市内で活動する「被災地障がい者支援センター石巻支部」の協力で、様々な障がいを持つ13歳から19歳の児童・大人7名と、その親6名対象にワークを行った。支援センターのスタッフの箕田さん、阿部さんら職員の方もその場で参加してくれて、ワークを実施した小さな支援センターの事務所は人でいっぱいになる程、大盛況であった。参加した子どもたちは周囲の大人に協力してもらいながら、それぞれのペースでタッチドローイングを楽しんでおり、笑い声がいっぱいの時間と空間であった。今後も、材料を何組か揃えて、やってみたいとの声も保護者から上がっていた。

 

後日、支援センタースタッフと保護者の方からのお礼と感想が届いた。

<参加した保護者の感想>

・指で描いた後、紙をはがして見た時の驚き、楽しさがよかった

・ローラーで絵の具を伸ばす作業も楽しそうにやっていた

・普通に絵を描くのとは、また違った面白さがあった

・ぜひまた、タッチドローイングをやってみたい。

<スタッフの方の感想>

参加された方々は、皆さん、楽しかったと言ってました。

一度、本当にリラックスした状態で、シェアリングまで

含めたタッチドローイングの全プロセスを体験してみたいと思いました。

大人にとっても、自由に線を描く体験は大切だし、楽しいものだと思います。

親御さんのためのワークショップを行ってもいいかも知れませんね・・・。

 

 今回の震災では、障がい児や障がい者に対する支援の不十分さ(避難所や仮設住宅の問題、その後の療育支援等)が報道された。そして、その状況の厳しさはまだ改善されずに残されたままであると支援センターの職員の方から話を伺った。そして、宮城県内だけでなく、東北3県には多くの同じような状況にある場所や人たちがいるという話も伺い、今後のつながりを約束して、石巻を後にした。

 

 今回のワーク実施の受け入れをお願いするに当たり、「タッチドローイング」「アートセラピー」とは、どんな活動であるかを受け入れ先に理解してもらうことが一つの壁になったと感じる。それは、震災後1年がたち、受け入れ側が「支援疲れ」をしていること、また「セラピー」という言葉に対する漠然とした不安が関係しているようである。(だからセラピーという言葉を使わない活動をしている団体もいる)しかし、実際にワークを行ってみると、デボラさんによる「タッチドローイング」のワークはどの回も盛況で、参加者は短い時間ながらも楽しみ、また協力してくれた団体・スタッフにもアートセラピーの有効性と可能性を感じてもらえる体験をしてもらえたと思っている。

 デボラさん自身も宮城県でのワークの終了後、活動をまとめ、ツイッター等で報告したところ、様々な反響があり、アートセラピーの必要性を感じたと後日伺った。

 今後、当センターでの震災復興支援を考えていくうえで、現地ですでに長く活動している団体との協力体制を組んでいくのかが大切なテーマになると考えられる。その点でも、貴重な体験をすることができた3日間であった。最後に、今回、ボランティアとして宮城県内での支援活動と画材の提供、素晴らしいワークをしてくださったデボラ・コフチャピンさんに心からの謝辞を伝えたいと思う。(※文章の中で分かりにくいところもあるかと思いますが、どうぞお許しください。)

           文責:小林 智明(センター評議員/仙台市)

第7回:2012年2月12日(日)

参加者:関則雄、小林智明、Eさん

 

 12日(日)仙台より車にて、関、小林、前回一緒にチラシ配布を行ったEさンとともに、南三陸町を訪れた。南三陸道を抜け、南三陸町に近づくにつれて、気温が下がり、天気も悪化。雪が降り出し、道路やあたりを雪一面で埋め尽くしていく。少し積もる気配のある雪で、沿岸のこの地域では、珍しい雪景色であった。途中、志津川地区の中心部手前のコンビニに入ると、コロッケやイカ揚げ、てんぷらなど、普通のコンビニでは売っていない商品(家庭では作りにくい食料品)も扱っていた。新しい店舗のコンビニや仮説コンテナで作られたコンビニも道路沿いに新たに3件ほど作られていた。数ヶ月前は、電柱が立っているのを見るだけでも感動したのだが、信号機が点灯している箇所もあり、わずかではあるが、復旧の進み具合を示していた。

 

 今回のワークショップは、Eさんの知り合いで、仮設住宅に住む小学生のお子さんをお持ちのAさんからの依頼で開催することになった。今回のワークの対象は小学生であったが、参加人数は、実際、その場にならないとがわからないという状況での実施であった。

 12時半に会場に入り準備を進める。1330分近くになって、ようやく親子連れがやってきた。今回のワークショップ開催のきっかけとなったAくん親子である。

Aくんは部屋に入ると、ホワイトボードで落書き遊びを始めた。その後、保育園年長のTくんと年少のRくんの兄弟がやってきた。

大人3人と子ども三人。最初は追いかけっこから始まり、ウォーミングアップとして、緩やかにスタート。

 すると開始から遅れて15分ぐらいたって、女の子3名(6年生2名、3年生1名)が参加に来てくれて、合計6人と大人3名でワークを開始した。

最初は、クラフト用紙に好きな色のクレヨンを持って、共同画を描く。最初は雰囲気を伺っていた女の子3人組もだんだんと顔つきもかわり、笑い声を出したり、いたずらを仕掛けてくる男の子に、わいわいきゃーきゃーと言いながら、楽しんでいた。

 次に、大きな和紙を使った共同画を行う。最初に関が「マジックが起こるよ」と言いながら水性ペンで花を描き、その線の上から水に浸した筆で描くという見本を見せる。「これ、知っている」との声もあり、今度は実際に一人一人が水性ペンで鉢植えと花を描いていき、水でぼかすという制作を楽しんでいた。次第に水に興奮してきた男の子たちは、画面いっぱいに水を広げることに熱中しだし、女の子は別の場所での「バレンタインデー企画」に参加するため、ちょうどいい時間(約70分)でワークを終えた。

 子どもたちは、思いっきり身体を動かして遊ぶことを強く望んでいるようであるが、実際、その遊ぶ空間は狭くまた、仮設住宅周辺では周囲に迷惑がかかるということから遠慮してしまうという環境に子どもたちは置かれている。その点でもアートセラピーのような、小さな空間でもできる活動が非常に有効的ではないかとも感じた。

 ワーク終了後、仙台に戻る。

第6回:2012年2月6日(月)

参加者:小林智明(センター評議員/仙台市)、Eさん

 

 今回は、南三陸町の仮設住宅に住むTさんから、センターへワーク実施(2月12日)の依頼があり、そのTさんからの話を仲介をしてくれたEさんと小林は南三陸町を訪問した。主な目的は、ワークの告知、現地団体との協力関係の構築、南三陸町・現地の状況把握であった。最初にベイサイドアリーナそばに設置された南三陸町役場の仮庁舎保健福祉課母子保健係を訪問。

 次に、志津川小学校そばにある「みんなの児童館」を訪問した。突然の訪問にもかかわらず、職員の方たちが丁寧に対応してくださり、町の職員である及川さんから話を聞かせてもらった。

  その後、ワークショップの実施場所である「平成の森」を訪問し、会場の下見をしたあと、「平成の森」の館内の一室で活動していた学童保育を、チラシの配布のために訪問。その後、「平成の森」傍の仮設住宅、伊佐里前小学校校庭に設置された仮設住宅、名足小学校近くの仮設住宅、ホテル観洋を訪問し、ワークのチラシ配布を行なったのち、仙台に戻った。随分、町内の瓦礫は整理され、一部修理された建物などがあったが、まだまだ復興の足音はまだまだ先のように感じられた。

第5回:11月4日(金)

参加者:関 則雄、小林智明

 

午前中、石巻市渡波地区にある仮設渡波第一団地を訪問。

石巻市渡波地区や東松島市小野地区で支援活動を行っているまちづくりNPOげんき宮城の代表理事 門間光紀さんとお会いした。丁度、集会所ではパッチワーク教室をしている最中で見学をさせてもらいながら、心のケアに関する現状の説明を受けた。パッチワークに参加している方々の表情は比較的明るく見えたが、門間さんによると、この雰囲気もようやく最近できてきたとのこと。

訪問後、仮設団地から200メートルぐらいのところに、万石浦という内湾があり、たまたま近くで作業をしていた宮城水産高校の先生と話すことができた。その先生によると、地震により内湾の地盤がかなり下がり、そのため台風や大雨の日には、とても水位があがったそうだ。もし、今回の震災と同じくらいの地震や津波が万が一起きた場合には、周囲は再び危険な状態になるいう話を伺う。この渡波地区も、海岸線が入り組んでいるため、道路一本で、かなり被害が違い、住民の気持ちにも温度差があるという話も伺った。

その後、石巻湾の方向に沿岸を移動。途中、何か所も高く積み上げられた瓦礫の山があり、重機を使った処分を行っていたが、あまりの量にまだまだ復興までの道のりの長さを感じる。全く家屋がなくなって更地になった辺りにみながら、日和幼稚園を訪問した。日和幼稚園は高台の上にあり、円自体は直接被害はなかったとのことだった。夏の私立幼稚園研修会に出席していた先生がこの園にいたこともあり、今回、訪問することができ、そこで子どもたちや親の様子、そして、先生たちの様子を聞かせてもらうことができた。そこで、関は、園児たちの行動に関する先生たちの質問に答えながら、対処方法等を少し伝えることができた。先生たち自身は、未だに続く余震や地震の影響を心配しながらも、比較的元気な様子に見えた。一方、園長先生は、かなりの疲労がたまっている様子で、話すこともできなかった。その後、仙台に戻る。

第4回:7月29日(金)~8月1日(月)

参加者:関則雄、関明美、小林智明、岩渕千佳子(2930日)

 

28日夜、新幹線にて仙台入り。

29日、宮城県私立幼稚園連合会の依頼を受けて、連合会主催の中堅教員研修会の講師として「心のケアとアートセラピー」についての研修を実施した。会場は仙台市青葉区のハーネル仙台。ワークの対象者は、経験5年前後の中堅教諭(109名)。ワークの主たる目的は、自らも被災者でありながら震災後の子供たちをケアすることを優先せざるを得ない状況の中で疲弊している援助者自身の癒しのワークであった。参加者のコメント

ウォーミングアップで笑い声が飛び交う会場も、今回の震災以降に感じているストレスをテーマにしたワークに入ると途端に緊張が走り、全員が大なり小なりのトラウマを抱えていることが感じられた。それは、描いた絵を動いてもらう時に、ほとんど全員がフリーズ状態になっていたことからもうかがえた。今回は、そのイメージした絵に1色クレヨンの色を加えていくことにより自らの力で体験を変えていくというワークを行い、それをさらに自分が安心できる安全な場所を描くことによって具体的なイメージへとつなげていった。

夜は「ケア・宮城」の代表で、震災の早い時期から活動してこられた宮城学院大学の畑山みさ子教授(発達臨床)と懇談し、現地の支援プログラムの問題点について意見を交換した。畑山氏によると、被災地では、支援者も被災者でありながら、使命感のみで休日返上の過酷なスケジュールをこなしている。そのため、相当な疲弊状況であるが、先の見通しの立たなさは今なお継続中である。短、長期的な支援を必要としているが、それに対してどこの市町村も目に見えるものにしか資金が配分されない現状のため、支援を行うものは、手弁当を余儀なくされている。また、心のケアと偽って宗教団体等の心無い働きかけが横行するなどして、支援に対する不信感が芽生えていることなどが挙げられた。

翌日は、4月に訪問した「平成の森」、歌津中学、歌津小学校などを再訪した。「平成の森」では、避難所から仮設住宅への移転が進み、避難者の数は激減していたが、新たに、仮設での生活の問題が、当事者によって語られた。今後の支援体制にもより多くの課題が浮上していることが判明した。

 731日は、午前10時から午後5時にわたり、養護教諭、電話相談員、児童館職員、スクールカウンセラーなどを対象にストレスケアのワークショップを行った。

そこでは、アートセラピーやムーブメントを通して、支援者の立場として抑えざるを得なかった自分たち自身の気持ちを絵で表現し、その気持ちを体がどう動きたがっているかを感じ、再びそれを絵を描くことにより変容させていくというワークを行った。

 アートセラピーが初めての人がほとんどだったが、ペアを組んでワークをしていく中で、多くの参加者が大きな気づきと癒しを体験していった。非常に凝集性の高いグループであった。

 

さらに、81日には、午前中はアポイントを取ってあった仙台市東四郎丸児童館の館長で宮城県児童館連絡協議会会長の小岩孝子さんをスタッフ3人で訪ねて行き、震災後の子どもたちの様子や家庭の状況、また、県内の被災した児童館の様子などについてお話を伺った。特に子どもたちと接する職員のバーン・アウトにも話が及び、そのためにセンターが協力できる可能性について話し合いがなされた。

午後は、729日と同様の研修を宮城県私立幼稚園連合会所属のベテラン教諭(93名)に施行した。会場は仙台市戦災復興記念館。ベテラン教諭ということで、3日前の中堅教諭向けとは異なる内容で行う。ウォーミングアップの後、トラウマの症状とメカニズムについて簡単な講義を行い、次に今回の震災や人間関係などでかかえているトラウマやストレスなどを絵に描いてもらい、アートセラピーを通してそれを変容させていくワークを行った。

終了後は、主催者側の小野寺先生や他のスタッフの方々と、ゆっくりと振り返りをする時間が持て、活発に意見が交わされ実りある時間となった。

夜、新幹線にて帰京する。

 

 

 

第3回:4月15日(金)~17日(日)

 参加者:関 則雄、関 明美、小林智明

 

 15日(金)夜仙台着、16日午前中は、仙台市宮城野区岡田地区・蒲生地区・若林区荒浜を視察。

東部道路の橋げたを挟んで、海側は津波が押し寄せ、田んぼには流木は散乱し、自動車も残されていた。海岸から25kMから3KM離れた地域であったが、辺りは海水の匂いがしていた。若林区荒浜方面に行こうとするが、交通規制がかかり、いくことが出来なかった。 

 16日(土)1300に鶴巻児童館訪問:子ども達10名とワークを行う。

 最初はペアになり、一人がもう一方をコマに見立て、コマ回しのボディーワーク。次に、今日の気分を天気予報になぞらえて、絵に描いて紹介。最後にロール紙を床に広げて全員で共同画を描く。

 印象的だったのは、最初男の子が中央に山を描き、「噴火だ!」と赤い色で噴火させていき、しばらくしてから外に遊びに行くが、ある女に子はあっちこっちに木を植えていき、火山を見ると「これ桜に見える!」と、赤の上からピンク色を塗っていき、大きな桜の木に仕上げたことである。

 児童館長からは、「子ども達がこんなに長い時間集中して絵を描くとは思わなかった。また、いつもおとなしい子が、最後まで参加している姿を見て、新たな面を見た気がした」と感想が述べられ、クリエイティブ・アーツ・セラピーを施行する重要性が語られた。

 児童館では、地域の民生委員の方とともに、独自に炊き出しなどの支援を行っていた。

鶴巻小学校の脇を流れる七北田川(ななきたがわ)は土手が荒々しく削られており、流木の散乱を見られた。宮城野区は区域が広いのだが、地震の揺れが激しく、家屋の倒壊や家が流されるなど多くの被害が見られた。その後、利府(りふ)児童館を訪問。近くにグランディ21という施設があり、遺体の安置場所になっていた。

    17日(日)は、宮城野区小田原の「さろん結遊(ゆうゆう)」を訪問。知的障害と身体障害を持った方が利用する施設としては、名取市で唯一の施設である「みのり会」の理事長、笠井晃さんと会談をする。口を開くや否や、奇跡的に危機一髪で施設を脱出したこと、施設は壊滅したが一人の犠牲者も出さないで済んだこと、不思議な巡り合わせと周りからのサポートで今日までやってきたことなどを、堰を切ったように話し始めました。

 また当日その場所では、大阪のホリスティック研究所所長、金香百合さん、2週間被災地を回ってこられて立ち寄った山梨県立大学の西澤哲教授(児童虐待)、西澤教授を取材に来た朝日新聞大阪支社の高橋さん、その他のさまざまな職域の人々が集まっていて、貴重な情報交換ができた。また、ばらばらに集まった人々が、みな共通の知り合いがいたり、どこかでつながりがあることを知り驚くとともに、不思議な一体感を感じさせる集まりであった。

 

 

 

 

 参加者:関 明美、小林智明、他「フィールドワーカーズ仙台」有志

 

 南三陸町の志津川ベイサイドアリーナと志津川中学校を訪問。また、志津川小学校のAMDAを訪問(2度目)。現地の情報をお伺いし、歌津中学校にて、宿泊(歌津町には訪問メンバーの一人が、3月までスクールカウンセラーとして勤務していた)。支援物資の運搬を行い、被災者の方と話をし、軽いマッサージをするなどして触れ合う。

翌日午前には、南三陸町の「平成の森」・伊里前小学校・歌津中学校を訪問。午後、石巻市鹿妻小学校の体育館避難所を訪問。(鹿妻南子ども会 浅野会長を訪問)

最終日は、名取市内閖上(ゆりあげ)に向かうが、交通が封鎖されていた。仙台空港・塩釜市内・塩釜港の惨状を視察 

 

第2回:4月4日(月)~6日(水)

 

 

第1回:3月29日(火)~31日(木)

参加者:関 則雄、関 明美、小林智明、Sさん,Mさん,Kさん 

 

●29日(火)

2330 夜行バスにて仙台着、評議員の小林さんの自宅に泊まる(奥さんとお子さんは沖縄の実家の方に避難中)。

 

●30日(水)

830 われわれ3人に、Sさん、Mさん、Kさん(彼は会社経営、仙台に「エフエムたいはく」というFM放送局を持っている)の3名が加わり、被災地の一つ南三陸町歌津に向かう。

そこを選んだ理由の一つは、Sさんが歌津のスクールカウンセラーをしていたこと、Mさんが避難所になっている今回の目的地「平成の森」の元相談員であったことで、彼女たちの希望でもあった。

開通した三陸自動車道を車2台に分乗し、北に上って行きました。ガソリンがないため車の数も少なく、道路はところどころ亀裂を補修した跡があり、波打っていたりして地震のすごさを感じた。

  

高速道路を右に折れ、海側に山並みを何十分か進んでいくと、突如眼に飛び込んできた風景には思わず息をのむ。

それは、空襲というか原爆の被災地を見ているような風景で、それが、延々と遥か彼方まで続いている。

 

目的地の「平成の森」へは2時間ほどで到着。そこはもともとフリースクールで、そこに避難民が約200人、それとは別に駐車場の車で寝起きしている人々も数多くいた。

  

そこでは、Sさんは知り合いと出会い泣きながら抱き合ったり、他のメンバーは外で車内生活をしている避難民の方々と話したり、子どもとキャッチボールをしたりなどといった光景が見られ、お昼の炊き出しのおにぎりを配ったりして皆さんに触れ合った。

 

午後は、関は本部から、毎朝個人的に話したいとやってくる女性がいて、その人に会ってもらいたいという依頼を受け、20分ほどスタッフの控え室で面接。

 

 その後、10部屋ほどの部屋(一つは体育館)を個別に訪れて、挨拶の後何か困っていることはないか聞いて回る。まだ部屋には電気もなく水道も止まっていて、ストーブも板の間の部屋だけにあり、畳の部屋には無いという状態。声をかけると、皆さん一様に「大丈夫です」「もっと困っている人がいます」という返事が返ってきたが、まだ張り詰めていて、それでかろうじて支えているのだと感じられた。

 

時間が限られていたため、 ゆっくりと座り込んでお話ができたのは3か所くらいだったのが残念だった。

 

とりあえずの足がかりをつかみ、情報を収集して仙台に帰ったのが8時半頃になる。

 

●31日(木) この日は小林さんと私と妻とで仙台市内の小林さんが属するNPOが経営する市内の児童館を3か所回る。

  

それぞれの児童館は、先日まで市民の避難所になっていたところである。 最初は、小林さんが館長を務める仙台市八本松児童館。まずお隣の建物続きの市民センターにあいさつ回りを行う。児童館とセンターの職員との関係も非常に良く、お互いに協力関係にあるとのこと。

 

その後小林さんは卒業する子供たちの終了式のため別行動。その間我われは別室で、妻は震災後パニック症状を出してきている耳の聞こえない若い女性と筆談で、私の方は避難所で問題行動を起こしていた精神科に通院中の年配の女性とそのご主人とをそれぞれ話し合うことができました。

 

午後からは、次の児童館の途中にある、仙台市内で300人ほどの犠牲者が出た若林区の荒浜に寄ってみる。

高速道路の土手が区内の明暗をきれいに二分し、海側は全くの廃墟と化していた。

海岸へと抜ける道はすべて通行止だった。

 

2番目の宮城野区の鶴巻児童館は、新しく館長になる方があいにくタッチの差で外出していたため、ここで子供たちのワークを予定していましたが、あまり緊急性を感じられなかったため、次の利府児童館へと向う。(ここに滞在中に雹が降ってくる)

 

利府児童館は翌々日に会館予定の新築の建物で、鶴巻児童館から移ってこられたばかりの高橋さんが館長。

到着した時は、新規スタッフのオリエンテーションのため多忙中だった。

 

しかし日が暮れてからは、たっぷり時間をとってもらい、現在の救援の現状、問題点、これから必要なもの等について話していただいた。驚くほど草の根レベルでの情報をたくさん持っており、また個人的ネットワークも広く、社会福祉協議会ともパイプがある人で、これからの支援活動のキーパーソンとなる人と感じられた。

 

夜は、前日のSさんに加え新たに3人が参加し、全員7人で今後の組織の在り方と活動内容について話し合いがなされた。

 

 

そこで大枠として確認されたことは以下の3点であった;

 

①行政の手の届かない人々へのさまざまな支援。

②あくまでも、被災を免れた地域の人たちが中心になり、それを側面から援助する。

③そのための、あらゆるネットワークを使う。

 

 

そのためセンターとしてのかかわりは;

 

①これから予想されるPTSD等の心の問題のケアのための、専門家に向けたアートセラピーのトレーニングとマニュアル化。

②被災地での心のケアのボランティア活動と、その参加者を募る。

③被災地の教育機関への呼びかけ。

④海外からの、物的・金銭的な活動援助金の受け入れの窓口。

 

などが被災地支援の中心なっていくことが予想される。