アートセラピー前夜(2)
「おーい、関!」
クラスメートのIが大学の前の土手の上で声をかけてきた。
Iは入学したころは野球部に入っていて、授業もそこそこに野球ばかりをしていたイメージがあった。ところがいつの間にか学生運動で頭角を現してきて、瞬く間に学生会長に立候補して選ばれるまでになった。
当時は2年続けて(確か)36単位とっていなければ退学になるという規定があった(今でもあるかどうかは分からない)。Iは学生選挙で学生会長に選ばれた時点での単位数が足りず、この規定に引っかかっていた。
それを口実に、大学はこの選挙が無効であるとして、学生側と対立していた。
当時の正門は、土手の側にあった。そこでは一人分の出入り口を残して鉄扉で閉じられていて、通行するにはガードマンに堅くチェックされていた。
その鉄門の上には江戸時代の関所さながらに、「右の者は学内に入るのを禁ず」という張り紙が掲げられていて、Iの名前が、大きく記されていた。
このころを知っている人たちも限られているが、そんな時代が上智大学にあった。70年代初頭の頃である。
「よう、久しぶり!」
「ところで関、Oさんのこと知っているか?」
「いや、去年最後に会って以来、見てない。そういえば最近見かけないなぁ」
「――彼女は亡くなったよ。去年秋から郷里に帰っていたが、ビルから飛び降りて自殺したそうだ」
ガーンと脳天を殴られた感じがあり、朦朧とした意識の中で土手に生えていたピンクのツツジを一つ取って胸ポケットに入れたのまでは覚えているが、その他の記憶は全くない。
覚えているのは、家に帰って神がかったかのように、一連の油絵を描き続けた事である。
それは彼女が自殺したことへのショックと悲しみの表現とは少し異なっていた。
白状すると、私の中では「悲しみ」という感情は、湧いてこなかった。
そして、友の死に何ら悲しみの感情が湧いてこないという反応に、自分自身がびっくりし、ショックであった。
絵を描いている時に、私が感じていたのは以下のような思いである。
・・・今の私のことを知っている人は、1年後は大部分の人は知っているだろう。
でも5年後、10年後と年が経つにつれて少しずつ忘れ去られていく。
100年後には私が存在したという証は誰の記憶の中にもないであろう。
宇宙の時間の中では100年ですら一瞬に過ぎない。
では1000年後、1万年後、10万年後、いや100万年後ではどうだろうか?
さらにさらに1000万年後、1億年後はどうか?・・・
と思考を進めていくと気が遠くなってきて、くらくらと来る。
その時頭上から真っ黒いものがドンッと落っこちてきてドサッと体全体に覆いかぶさる。
決して長い時間ではなく、数秒もしない体験であった。
しかしその体験は、全存在がひっくり返されるような体験であった。
この黒いものは、私にとって「死そのもの」であった。
そこから逃れるようにして、私はひたすら絵を描き続けた。
そして、その時私がやっていたことは、すがるように存在の証しを求めていく行為であった。
意識はしてなかったが、私が後にアートセラピーの道に進むようになった種は、この時すでに蒔かれていたのかもしれない。